「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第271号 「古いからダメ論の無責任」

古いからダメ論の無責任

古いからダメ論の無責任

古いからダメ論の無責任

新しいものに飛びついた末路

 よく、その考えは古いからダメだよ。このようなことを聞いたことがあるが、実は根拠薄弱だったりする。有名人がそう言うから鵜呑みにしているというものだ。確かに、昔の悪習慣を引きずっているものに対し、これは古いしダメというのは理解できなくもない、むしろ同意したくなるのだ。ただし、やたらめっぽう、相手の言説を否定するためや、気に入らないから「古い」と頭ごなしに否定するのは違う。
 日本には慣習というものがあり、それ故に「繊細」な考え方が出来る民族だと思うのである。外国が粗雑と言いたいわけではなく、日本語ひとつとっても複雑で難しいとは日本語を習う外国人の言。我々日本人ですら知らない単語があり、見たことのない漢字もある。漢字一字で訓読み・音読みがあったり、ひらがなやカタカナの組み合わせで日本語が成り立っていることから見ても、その繊細さは目を見張るものがある。そして、毎年増えて行く「造語」にしろ、日本語という土台があるから可能なのだ。
 実はこういった思考が出来る感性のようなものは、昔から脈々と「意識しなくても」継承されてきた慣習が大きく関わっている。文化や伝統芸能にしろそうである。こういった土台の上に我々は生きているのだ。
 普段何気なく食事しているが、これも継承の賜物である。急に誰かが考案して出て来たものではない。そのほとんどは食文化の土台の上で成り立っている。

 

土台の破壊者

 古いと言って切り捨てるのは簡単であるが、政治家がグローバル化構造改革だなんだと言っているのであれば、愚の骨頂である。新しいものを取り入れて良さげだ!と思おうと、それは新しいものではなく方法論だ。ルールのようなものであったり、「何かにとって代わる」ということであって、浸透すれば何かが喪失し犠牲になる。失うものがあることに鈍感に過ぎるのだ。
 外国では長らくグローバル化で疲弊し、グローバル化は移民受け入れとセットにしているところがほとんど。弊害が色濃く出ているのだ。いつも犠牲は国民側にあり、政治家は考えなしにあれこれ新しい(そう見える)ものを受け入れるようでは、今は日本という名前のついた国であっても、中身が外国のようになってしまう。
 自公明政権は移民受け入れをごり押し、建前ではちゃんとすると言っているが、オリンピックの水際対策同様に杜撰だ。結論ありき、かくも脆弱であり無能さを曝け出すのである。治安悪化に警鐘を鳴らす人達もいるが、全く聞く耳を持たない。グローバル化が世界標準という幻想は、欧州を見れば一目瞭然である。。水道民営化にしろ、やたらと規制緩和を持ち上げる者達はグローバル企業の先兵か無知である。
 昔からの慣習がなぜ強いのか。それはスムーズに行く道筋として、こつこつと継承されてきたのには理由があるからに他ならない。ゆっくりかもしれないが、安全な道を歩むコツであり、石橋を叩いて渡ってきた智慧なのだ。その智慧の結晶をこの時代の政治家がぶっ壊しており、許しがたい暴挙である。安定して生活している庶民ところに来て急に、今日からルールはこれ!だと押し付け出したのがこの時代の政治なのだ。
 災害に弱い国になり、既に犠牲者の数は計り知れない。保守・愛国とは口先だけの真逆である。

 


【治水】日本人と河川の歴史