「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第273号 「麻生大臣の罪は重い」

麻生大臣の罪は重い

麻生大臣の罪は重い

麻生大臣の罪は重い

自己責任の日本社会で問われるもの

 多岐に渡る税金支払いのため、固定費分は必ず預金している人がほとんどだろう。住民税は給与支払い時に差っ引かれるようになり、ますます手取りが少なく負担が重く感じられるのだ。老後は二千万円必要とは麻生大臣の言であるが、国民は貯蓄傾向にならない方がおかしい。その舌の根も乾かぬうちに、「特別定額給付金はみんな貯金に回してしまった」等と自らの言動を顧みることが出来ない。行き当たりばったりの思いつき、かつ居丈高な振る舞いをする財務大臣は、その職に似つかわしくない。否、それ以前の人間的振る舞いとして大問題なのである。その上で貧困その他は自己責任とくれば、弱者は発言権すら失うのだ。貧乏なのは自分が至らないためだ、努力が足りないためだと自分を責め、貧困は恥ずべきだと思えば誰に相談することもしないだろう。追い詰められやすい社会なのだ。

 

弱者を軽く見ることなかれ

 身体障害者知的障害者は慮るが、多岐に渡る障害者の存在は周知されておらず、健常者と同じ扱いをしてしまうことは多々ある。昔は総称して鬱も含めてノイローゼと呼んでおり、おかしくなったと気持ち悪い人を見るように目で見ていたという。精神科学の分析が進んだ昨今でさえ、精神疾患による弱者は健常者と変わらなく見えるため、能力がない人とだ誤認され差別的だ。ものを覚えられない、複数のことを同時にすることが出来ない、これらは立派な障害である。怠けているわけでも努力していないわけでもない、障害があるため出来ないのだ。
 この際、多岐に渡る障害があることを知り、努力不足からだとする思い込みからではなく、そのような人達が存在するのだと認識した上で世の中を見渡してみると良いのではないか。米国では様々な障害者のケアをするコミュニティがあり、お互いにどのような状況あるか共有したり、リハビリとして活用されている。

 

経済の病

 日本はこの数十年で経済は停滞とデフレを繰り返しており、経済の病気から立ち直れていない。ワーキングプアやブラックな労働環境下では、鬱を発症する可能性は高まる。経済の病気はそのまま人間の病気と密接に関わっているのだ。自殺も例外ではない。国民がいればこその国家であり、国民いてこその経済である。国民を蔑にするということは、即、国家を蔑にする行為なのだ。

 

 今日、経済学にとっての主要な課題は、おそらく、政府の「なすべきこと」と「なすべからざること」を改めて区別し直すことである。

 

 こう述べたのは知の巨人であるケインズだ。この数十年の日本経済は税制を偏らせ、無駄に貧困格差を拡大させてきた。財政健全化の名目で予算を減らし、地方や多数の分野を衰退させてきたのだ。構造改革による規制緩和ワーキングプアを増やし、同時にこども食堂も増えていった。政府はなすべきことをやらず、なすべからざることをやっているではないか。数十年経った今も。構造改革は、弱者に厳しく、弱者を増やし続けるのだ。