「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第288号 「命」の温度差

「命」の温度差

「命」の温度差

 

「命」の温度差

安全を重視する者との差異

 コロナの収束を見せない日本。一度目の緊急事態宣言があった頃、インフルエンザ死亡の方が多いという言説に対して医療従事者のこの言葉が印象深かった。

 「本来はインフルエンザも止めたいとずっと思って臨んできた」

 インフルエンザは毎年感染するものと思い込んで来た筆者にとって、この言葉の重みを感じずにはいられなかった。盲点とも言うべきか、インフルエンザは元々存在することとして、毎年誰かが感染することを無意識に受け容れてきたのだと気付かされたのである。医療従事者の中でも、絶対に患者を救って結果を出すことを第一義に置いている人は、人命や安全を重要視しているとしても不思議ではない。ところが他の医療従事者の中には、楽観論から人命軽視が窺がえる人もいる。この温度差は一体どこから来るのであろうか。
 論理的な話、人の命がないと生活も活動もへったくれもない。人命が優先されて然るべきであることを理解していれば、危機が及ぶ際の楽観論は有り得ない。
 大昔から治水事業に力を入れてきた我が国は、人々を生存させるためであることは論をまたない。災害が来るたびにおびただしい人口減少や財産を喪失していたのでは、二歩進んでは一歩も二歩も後退することになりかねない。驚くことなかれ、なんと、この状況を体現しているのはこの数十年の我が国なのである。
 来る災害や不確実性に備え、設計段階で多めに余裕を取ることは、大昔からの知恵である。命に対する温度差は、現実を直視した上での切実さではなかろうか。

 

詐術で覆い隠してきた人災

 景気が良くなりそうな時に増税で景気の腰を折る。消費税で消費を抑制しておいて、経済成長のブレーキを踏む。進もうとしても進ませてくれない構造になっているのだ。実質賃金も上がらず、むしろ所得金額の中央地は100万円強も下落している。これをなんと言って誤魔化しているのだろうか。


社会保障費を捻出するため」

 

 実はこの言葉は建前である。本音の言葉はこうだ。

 

「財政規律のため」

 

 人命よりも財政を気にするのが我が国。そのため、何もかも中途半端なのだ。それだけで済めば良いが、その副作用は国家の衰退、貧困格差拡大を招いてしまった。加えて、災害に弱い国になっているため、国民の命と財産の毀損が常態化している。
 我々は国の借金を一人あたり何百万もあると聞いて育ち、このツケは将来世代に残してはいけないと信じ込まされてきた。しかし、現世代の命と引き換えにしてまで将来世代を守れるのだろうか。明日の遠足が中止になって我慢するのとはわけが違うのだ。
 国家の永続性は、その時代時代に命がないと繋がらない。どこかで方向転換をしなければ、ずっと将来世代のためと言いながら、人命と共に国家ごと衰退していく様が目に見えている。否、この数十年で経験してきたのだ。ましてや、この世界には日本だけが存在しているのではない。災害、隣国の脅威もコロナも、日本の都合で待ってはくれない。財政規律は人災となって表れている。