「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第290号 「努力と根性は続かない」

努力と根性は続かない

努力と根性は続かない

努力と根性は続かない

百年不安時代の勘違い

 経済政策では消費性向を高めることが必要であり、それをわざわざ抑えることばかりするのが我が国。麻生財務大臣の2000万問題は思いのほか影響が大ききく、貯金しなければ老後を安心して生活できないとなれば、自ずと消費が減り貯蓄傾向になる。これに加えて、高齢者の医療負担もそれを加速させる。更に、税負担が年々増え、比例してエンゲル係数が上昇。このコロナ禍でも徴税に容赦ない。
 年金100年安心プランの嘘は高齢者を労働に駆り立て、家計の消費を抑えたい高齢者の面倒を見る家庭は、親を介護施設への入居もさせられない。老老介護になってしまうところもあり、高校生の孫が高齢者家族の介護をしている実態もある。
 そもそも、高齢化社会を分かっていながら、介護分野に充分な予算を投じて来なかったのも消極財政の弊害である。構造改悪が原因で貧困化したため、やむを得ず共働きする中間層も出ている。税制の改悪によって、固定費の負担が思いのほか大きいのだ。
 驚くべきことに麻生財務大臣は、年金が足りない場合は自己の資産でなんとかしろというもの。要するに投資に手を出せということだ。このような梯子外しを平気で言う政治家は、早々に社会から退場させるべきだ。危険で仕方がない。
 この30年余りで年金保険料は2倍にも膨れ上がり、負担ばかりが増す。何度も言って来たことだが、日本は管理通貨制であり税を財源としない。であるから、実際には年金問題はない。ただし、財政規律という愚かな縛りを設けているため自縄自縛に陥っているだけなのだ。例えるなら、不要不急のオリンピックをやったことと同質である。政策が間違っていると分かっていても、決まっていることとして突き進んでしまうのが我が国。犠牲者はいつも庶民なのだ。財産や人命の毀損に無頓着な者は、政治家やリーダーになってはいけない。売国奴を経済の諮問委にしたり、堂々とブレーンに招くくらいに政権与党は腐敗しきっている。

 

区別すべきこと

 国家財政と家計は全く違う。財務省は家計になぞらえて財政を説明しているが、家計である個人や企業が日本円を発行し、税金を課してお金を回収出来るかどうか聞いて見れば良い。当然のことながら答えは「出来ない」だ。これは国民にとって盲点になっている。否、盲目的にさせるべく誘導してきたと言うべきか。
 比較対象にならないものを比較した時点でその論は破綻。国家財政と家計を同じだと見做し、そうして説明することで政府に予算を使わせない抑止力を持たせようと試みているのである。抑止力とは「我々の税金が!」という国民の声だ。国民自ら率先して国家予算に歯止めをかけさせるように仕向けているである。民主主義の欠陥を最大限に利用しているのだ。。そして、自己責任で努力と根性を強いられるようになる。やがては弱者が淘汰されても仕方ない事だと自己説得し、無意識に現実で起きていることに対して、「見ざる、聞かざる、言わざる」になるのだ。現実を見よというのは、それら盲目的な思考からの離脱である。つまり、社会を良くすることにつながるのだ。
 努力と根性を維持できる人というのは一つのセンスであって、人間には向き不向きがある。長く続けられない人の方が多いだろう。現実を見よ!