「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第501号 「国家財政と家計は異なる」

国家財政と家計は異なる

国家財政と家計は異なる

国家財政と家計は異なる

認識を改めるだけで見えるもの

 誰しもやったことのある比較対象で物事を理解したり把握すること。この比較する対象を間違えてしまうと、途端に正しい認識が出来なくなる。「国家財政と家計」を比較対象にして語られることはあるが、これは誤りだ。この認識が誤っているため、我々国民の負担率が上がる増税の話につながっていく。まず、正しい認識としては、政府は通貨を発行する主体であること。我々国民はその通貨を利用していること。この点だけでも「国家財政と家計」とを比較対象とすることに誤りであると気付く人は気付くだろう。国家財政と家計を同じものと見做すと、政府が支出するだけで敏感に反応してしまうのではないだろうか。メディアが定期的に流す「国の借金」という文字列を見ただけで暗澹たる気分になるのは、国家財政を我が家計のように心配するからに他ならない。繰り返しになるがその認識は誤りだ。
 家計は収入以上の支出はリスクになるため、収入内でやり繰りするだろう。この認識は正しい。ところが、国家となるとこの家計のモノサシで測ることは出来ない。政府は通貨を発行する能力があるため、家計のように収支で気に病むことがないという点。市場にお金が増えてきたのは政府が支出したからに他ならず、収支を気にしていれば増えてこなかっただろう。
 いわゆる国の借金は政府の負債であり、これまで市場にお金を発行してきた数値だ。無論、中抜きのために発行して累積されたものも含まれるため、このような支出は倫理的に問題がある。時の政権は非難されて然るべきだ。

 

国家財政を知る

 我が国は管理通貨制度を採用している。かのケインズが考案し、彼の死後に採用された仕組みだ。ここも認識として重要だ。なぜならば、税金で国家が運営されているという嘘を見抜くことが容易であるため。
 主権通貨を持つ国においては、政府支出は収入に制約されない。支払い能力のリスク自体が存在しないのだ。この点でも国家財政と家計を比較対象とすることがナンセンスであると分かるだろう。
 再度、政府は通貨を発行する主体であること。我々国民はその通貨を利用していること。政府は財源をかき集めることなく支出が可能であって、これはアダム・スミスケインズ等が既に書いてきたことだ。なぜ、ここを素通りして財政規律等と国民を苦しめる増税に終始するのか。ただ単に無知なのか、恣意的なのか、その両方なのか定かではないが、古典を勉強していれば経済学者も政治家も財政規律がおかしいことに気付いていても不思議ではない。ただの無知であれば認識を改めるだけで考え方も変わるし、知ってみようと思える。ランダル・レイ曰く、

 

 租税の本当の目的は、政府に支出の財源を共有することではない。政府自身の通貨に対する需要を生み出すことで、政府がそれを支払い手段として使えるようにすることである。

 

 政府は税収を頼らず支出が可能ということは、社会保障費のために消費税を設ける必要がないことを意味する。経済の自動調整機能や寡占化等を防ぐために税金は必要になるが、わざわざ経済弱者から徴税する必要はないのである。