経済同好会新聞 第293号 「報われない努力」
報われない努力
為政者の偽善は苛政に
当たり前のように目の前にある道路、受けられる医療。当たり前になり過ぎるとどうなるか。感謝を忘れるのである。目に見える物やサービスは多くの人が携わっており、それら人がいるからこそ生活が成り立っている。この当たり前と思えることは「土台」であり、この土台はなぜ出来たかを認識しなければ、構造改革だ!身を切る改革だ!民営化だ!と大衆に「刺激」を与える扇動者に魅力を感じ騙されるのだ。人は当たり前過ぎるとそれが盲点化し、有難みがなくなる。そこに付け込まれるのだ。
人の欲求というものは、慣れてつまらなくなってくると刺激を欲するようになる。また、近い将来に窮地に立たされるだろうと認識した際には、何かに縋ろうとする。詐欺師はここに付け込んでくるのだ。
構造改革も身を切る改革も受け取る側にとっては刺激的であり、辛い状況にある人々は世の中を良い風に変えてもらえそうだとそれに縋ろうとする。このことからも、教育がいかに重要か理解できるだろう。
努力が報われないのは、土台である当たり前にある物に感謝せず、その重要性を軽視しているからだ。きちんと土台が何であるかを認識していれば、努力が報われる社会に自然となっていくのである。長年の日本は、その土台の破壊者が政治を司っているため、頑張っても頑張っても報われない。むしろ悪化していく。よもや、政策の誤りとは露知らず。
経済はモラルサイエンスである
知の巨人であるジョン・メイナード・ケインズはこのように述べている。
経済学は論理学の一分野であり、思考の一方法です経済学は本質的にモラル・サイエンスであって自然科学ではありません。
自由過ぎれば無法化し馬鹿が量産され、道徳が行き過ぎれば四角四面で不寛容な馬鹿が量産される。どちらも偏り過ぎる故の末路である。市場原理主義は前者計画経済は後者。
「ええ塩梅」にするためには、市場に政府が補助する形で介入することや、規制の厳格化や強化で偏りから守る。また、適切な税制は貧困格差を是正し、庶民の生活をスムーズにする。
身を切る改革だとか、痛みの分かち合いは道徳だとする愚か者が存在するが、困窮している庶民に痛みを分かち合え等と、道徳的要素は一切ない。むしろ、人を追い詰める行為である。
現在の日本は市場原理主義により非常に偏っており、その旗振りは資本家である。竹中平蔵パソナ会長や維新の会はその代弁者であったり実行者だ。土台である水道を民営化する等、この表れである。災害経験者はこのように述べる。
「蛇口をひねれば水が出る、これがどれほどありがたいことか」
土台というのは、当たり前にあるものを将来に渡って永続的に必要とされるものである。水道等が公で管理している意味は、供給、価格の安定とリスクを排除するためでもあるのだ。市場原理主義はこれらを破壊するため、規制が必要である。
まとめるとこうだ。道徳の上で自由が最大限になり、自由の上で道徳が最大限に生かされる。政府の介入は道徳であり、その上で市場は自由に潤う。株主優遇や節操のない民営化は、道徳の破壊であり、緊縮財政は行き過ぎた道徳であり自由の破壊である。