「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第297号 「余白の美」

「余白の美」

「余白の美」

「余白の美」

無駄の削減で国民を追い詰める

 下の文章の配置は、Aは違和感がなく、Bは窮屈で違和感がある。

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 Aは上下左右に余白が設けられており、文字と文字の間、行の間隔も余白があり読みやすい。我々が日頃から目にする文章等は、このように余白が設けられているため、なんの違和感もなく当然のように読めるようになっている。書籍全般、漫画、雑誌や教科書に至るまで、全てこの余白は意識されて作られている。読み手にとって違和感がないように設計されているのだ。 一方でBはAとは真逆だ。読もうと思えば読めるが、これが数万文字もあるとしたらどうだろうか。読み手は心理的に疲れてしまう。途中で嫌になるのだ。
 さて、Aのような余白は余裕に例えることが出来る。人の精神的余裕や構造物の余裕。仕事における余裕や金銭的余裕。人が意識せずともストレスが起きない、これが余白の美であり、余裕の美である。

 

余白を奪う人達

 上で示したBのように余白が削られる行為の典型として、身を切る改革や痛みの分かち合いがある。これらは予算削減の方便として利用される言葉であり、美徳と思わせておきながら、実は利権への誘導なのだ。 余白(余裕)を設けることは力が発揮できる状態であり、きちきちで余裕がなければ力は発揮できない。良い仕事は余白があってこそであり、継続性の維持につながる。イノベーションが起きやすくなるのは、余裕があるからこそだ。
 日本のおかれる状況は、長年の緊縮財政(消極的財政)や構造改革で余白を奪われた人達がたくさん出ており、それが所得になって表れている。こども・大人食堂の存在は、労働者の低賃金化によるものだ。コスト削減として、労働者の所得が削らている故である。
 予算削減はそれだけで国民の誰かが必ず犠牲になる。だからこそ、身を切る改革等と言い、建前上の言葉で誤魔化しているのだ。
 このコロナ禍で明るみになったことは、保健所や病院の余裕のなさ。以前から指摘はされていたが、実際に起きてみると医療崩壊で悲劇と困窮が渦巻く。余白(余裕)は確保するものであり、先手先手で対応と対処するのが政治の役目。それが分からぬ政治家達が、余白を奪うことを是とし、国民を追い詰めている。消費税が典型だ。 適切な税制は実体のある経済の余白を作り、累進性のない消費税は経済を窮屈なものにする。無論、中抜きは余白を削る行為だ。
 上にあるAのような余白を土台にしてものを考えなければ、何をやっても上手く行かない。この数十年の日本はBを余儀なくされ、Aに戻せと言 って来たのが我々経世済民を志す者達である。Aのような配置、それを維持することが政治の仕事。つまり、Aを保守し将来につなげていくことが肝要なのである。

 

 

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