経済同好会新聞 第313号 「平成の失敗は改革主義」
平成の失敗は改革主義
顧みない都合の良さ、恐ろしさ
当新聞で頻繁に出て来る言葉に、「日本経済は停滞とデフレを繰り返してきた」がある。平成は三十年で幕を閉じたが、まさに停滞と衰退を象徴したものではなかったか。これだけの長期に渡った停滞と衰退は、明治以降では初だろう。そう、我々の時代が日本経済をこのようにしてしまった動かしがたい事実。経済学もさる事ながら、戦後復興を果たしながら経済成長を約四十年ほど続けて来た我が国が、突如として停滞と衰退を招くことになった。これは現役世代の我々がきちんと把握し、後世に伝えていかねばならない。
バブル崩壊後の我が国は、政治家もメディアも「抜本的に変わらないといけない」としてきた。この頃はちょうど冷戦が終了した頃と重なっており、「改革ブーム」もちょうどこの頃からである。竹中平蔵パソナ会長が小泉政権下で指揮を執った構造改革は悪い意味で有名であるが、その前の橋本龍太郎政権にしろ、細川政権にしろ、改革という言葉を使用し、日本を根本的に変えていくスローガンは同様であった。平成の停滞と衰退は、改革の失敗に尽きるであろう。
冷戦の終了とバブル崩壊が日本を「改革馬鹿」にし、成功を収めていた「日本型経済システム」からガラリと悪い方向に変えてしまったのである。平成の三十年と今も続く令和の政治は、未だ「改革馬鹿」の延長線上にいる。我が国は顧みることがないため、竹中平蔵パソナ会長やその周辺は悪びれることなく政治に関与している。
思考停止の末路
改革ブームに乗っかり、どうも上手かないと思ってはいるものの、乗っかった手前言い出せない。その内に扇動者が「上手く行かない理由は改革が足りないからだ」と助け船を出し、またそれに乗っかる。自分でものを考えなくなった者達が日本を牽引するとは、どういうことかを理解せねばならない。
平成の三十年とは端的に「米国型新自由主義改革」と言えよう。加えて、グローバリズムとの親和性が高いため、グローバル化が礼賛されていった具合だ。このような姿勢は、敗戦後の我が国と瓜二つである。ナショナリズムを捨て、平和と民主主義を無条件に受けいれた当時の姿勢だ。民主主義の弊害はこの数十年、特に小泉・安倍長期政権で思い知らされたであろう。徐々に変化を受けいれながら修正していくのではなく、急激に受けいれ、ニッチもサッチも行かなくなるその姿勢が、我が国の悪癖として政治が受け継いでいる。その政治家に投票する我々国民は全く無関係ではない。政治への無関心はその国の質であるが故。
新自由主義改革自体は、英国のサッチャー、米国のレーガンがはじまりであるが、我が国では中曽根政権がそうだった。バブル崩壊が引き金に、くすぶっていた新自由主義が我が国ではあたかも、「目指すべきもの」として打ち出されていった。これほどの自虐があるだろうか。新自由主義的改革をするためには、日本の良さを「旧態依然」と批判し、かくして、竹中らが跋扈することになっていったのである。
まずは日本的なるものを否定し、市場原理主義の強い米国型新自由主義を取り入れ、規制緩和で自己利益最大化を目論む。
思考停止した末路は、改革は善なるものとし、竹中らに大いに利用されてきた。ワーキングプアが増え、労働者にとって長い冬の時代が来たのだ。