「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第343号 「財源はどうするの愚」

財源はどうするの愚

財源はどうするの愚

財源はどうするの愚

矛盾も精神論に逃避するあり様

 我が国は災害大国であることから、本来は個人や民間レベルでどうにもならないことを、政府は水害や地震に強いインフラや建築物を作ることを他国よりも進んで考えていなければならない。ところが、災害が来ても国土を強化することもなく、税負担を増やすという本末転倒なことをする。東日本大震災の復興税がそうであるが、コロナ禍が世界で終息した際にも当然のように「コロナ復興税」とやってくるであろう。負荷がかかった国民に対して、更に負荷をかける悪政を強いてくることが我が国の標準となっている。
 東北大震災の際には、国家を上げて復興すべきところに、「財源はどうする」等と言っていたほどだ。政府が家計を心配するがごときケチ臭さは、国家観がないからに他ならない。このような「金」の心配をして国民の安全を蔑にする言動や政策は、採算性を求めてはならない対象にまで採算を求めるほど落ちぶれた。政策立案者にそのような発想をする者が携わっているため、国家が傾くのである。その政策を吟味できない政治家というのも、我が国の有権者も政治家に対する見る目がないと評する他ない。国の方向性や政治家の質は、そのまま庶民の質である故。
 管理通貨制度である我が国は、当然のことながら災害復興税を設ける必要はなかった。政府が支出するだけで良く、税金をかき集めなくても良いのだから。このような事例はたくさんある。例えば社会保障費だ。建前上、消費税がその目的として徴収していることになっているが、社会保障も政府が支出することでこと足りる。
 恐ろしいところは、経済的理由で国民が困窮、自殺するまで税金を徴収するその冷徹さ。前提である政策が誤っているため、死んだ者や落伍者が悪いと精神論でもって現実逃避するのである。おおよそ、考えることを放棄した人というのは、人の苦しみに対して目を覆うのだ。政治家は常識人足らねばならぬ。

 

採算と不採算

 人が効率を求める際、効率だけを見て他のことを無視したらば、それは一側面では効率的と言えよう。ところが、他の無視されたことが非効率的だと断じ、切り捨ててしまうとどうなるか。やがては非効率的であ った部分が「なくてはならないこと」だと慌てふためき、だが時すでに遅しということが起きうる。
 ピンと来る人は来る話だが、色々な経験を通して思い起こす人もいるだろう。当新聞ではこの場合、採算性を求めない公的部門を、民営化により採算を求める事象がそうだ。公共部門であるインフラは、国家にとって永続的な発展と繁栄の基礎であり、国家の土台そのものである。これを無視し、過去に築いてきたこれら公的なインフラを民営化して採算を取ろうとする発想は、率先して土台をシロアリに食わせるようなものだ。不安定化待ったなしである。
 市場原理主義が罪悪なのは、このような基礎を破壊してまでビジネスのために民営化をしてしまうところにある。まさに、「今だけ、金だけ、自分だけ」だ。
 こう考えると良いだろう。採算は不採算の土台があってこそ取れるものである。つまり、採算を度外視できるのは政府の公的存在であり、その姿勢が極めて重要だということだ。規制緩和はやがて、墓穴を掘るに至るのだ。公共事業を無駄だとする発想は、亡国への道である。

 

 

 

 

tasan様
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