「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第394号 「将来世代のためとは」

将来世代のためとは

将来世代のためとは

将来世代のためとは

よくよく塩梅を見て政治をせよ

 口だけは立派なことを言うし、大風呂敷を広げてもすぐにトーンダウンする。そして「いつもの新自由主義的政策」に邁進する。自公明与党は政商を抱え、ビジネス屋の要望はすぐに政策に組み入れ、これをもって将来の展望のように扱う。自由貿易、スーパーシティやマイナンバー等、株主や政商「案件」ばかりではないか。将来の展望とは、いま生まれた赤ちゃんが成人するまでの約20年ほどのスパンを見据え計画を立て、常にこの連続で将来世代にバトンをつないでいく。中長期スパンで計画を組むこと自体が将来世代を直視することになるのだ。これは社会の土台の育みであり、ビジネスではない。国家の土台である基礎となるものを育んでいくこと、それが教育であったり科学であったり文化であったり、様々な「金勘定」では量れないものがある。社会的営みと経済的営みが互いに侵害しない塩梅が我が国には必要であろう。
 育むということは淡々とした事実で言えば家計にとっては赤字だ。だが、子育てするのに赤字を気にする親はほとんどいないだろう。経済的事情で気にすることはあっても。一方で国家の育みは政府が赤字になるが、これを気にするのが我が国の風潮だ。「十把一絡げ」に赤字の中身を見ずに批判するのである。更に、将来の展望を政策に反映させた際、「無駄に見える」ようなものや「無駄」も出てくるだろう。しかしそれは、どの国も景気が良い時というのはそうなるのであって、これは「収斂」させていくべき話であり、「無駄に見える」ようなものは将来役に立ったり、有事の際の余裕であったりする。家計ではこれを担保することは困難だが、国家であれば可能だ。重要なのは政府が支出する際、現世代と将来世代のためになる展望があるのかどうかで公共事業の必然性が認識され、同時に国家の永続性が認識される。

 

構造改革と緊縮財政の相性

 この数十年のようにあっちに予算をつけるがこっちは削るようなトレードオフをやり、社会インフラにまで予算を削減する愚は国家の永続性に反する。政府が支出する度に増税することで、国民の税負担が一方的に増えていく。それならばパソナ電通に中抜きさせた分の支出や、16兆もの使途不明金がなければ税負担は重くならなかったはずだ。
 自公明与党の欺瞞は、構造改革と言いながら公の民営化や労働者の低賃金化をさせてきたところ。緊縮財政を印籠に構造改革を進めるという具合である。どういうことか。無駄があるから効率よくしようということで構造改革をやる。その改革は自民党とパイプのある企業を肥やす為に合法的な税制改革で労働者の取り分を減らし、それを資本家や株主に配当金という形で付け替える構造にしてきた。これまで細々した政策の中には良いものはいくつかあることも事実であるが、これは大きな悪を覆い隠すためにほんの少し良いことをしておくようなものだ。緊縮財政という言葉構造改革は相性が良いのである。有権者は国の借金があるから緊縮財政すべきであると思い、それを利用して無駄の削減やら身を切る改革で構造改革を進める。非常に悪質であり詐欺的で欺瞞だ。社会インフラはボロボロ、生活インフラは値上げ、所得は上がらず。これは政治腐敗であって、国民は舐められている。