経済同好会新聞 第351号 「止まらぬ利己主義」
止まらぬ利己主義
政治家、大手企業はありがたい存在か
企業が消費者にとって「ありがたい存在」となるのは、消費者へのニーズに応えることが前提に来るからだ。ところが、利益を追い求めることが前提になると、ニーズに応えることが疎かになる。企業で働く従業員が低賃金であったり、労働対価がきちんと支払われていなければ、ニーズを生みだすはず の現場が腐る。これを国家の政策でやってのけている滑稽な国が我が国なのだから、凋落しないはずがないではないか。
中小零細企業の立派な社長は、経営と労働者は両輪であることを理解しており、それはニーズを生み出す源泉で両輪を蔑にしない「正しさ」を優先している。サラリーマン上がりの社長風情ほど利益を前提に置き、凡人の域を出ないのである。経団連や経済同友会を見よ、凡人以下である。ヘンリー・フォード曰く、
利益以外生み出さない企業は、好ましくない種類の企業である
市場原理主義者が陥る利益追求には、まず道徳がない。企業は利益を求めるだけのものではないことは、ピーター・ドラッガーのこの言葉が示唆している。
事業とは何かを問われると、たいていの企業人は利益を得るための組織と答える。たいていの経済学者も同じように答える。この答えは間違いなだけではなく、的外れである。
ドラッガーが示唆する以前に、渋沢栄一は次のように述べていた。
事柄に対し如何にせば道理にかなうかをまず考え、しかしてその道理にかなったやり方をすれば国家社会の利益となるかを考え、さらにかくすれば自己のためにもなるかと考える。そう考えてみたとき、もしそれが自己のためにはならぬが、道理にもかない、国家社会をも利益するということなら、余は断然自己を捨てて、道理のあるところに従うつもりである。
市場原理主義ではこうはいくまい。目先の利益を追いかけ、国民、ひいては国家に害を成してきたのがグローバリズムだ。やれカジノだの民営化だのと、人の身を切る改革をする輩のどこに道理があるのだ。
道理を知らぬ者、あるいは経済的に余裕がなくなった国民は利己主義に陥る。利己的な者は不道徳者を崇めまつり、大阪維新の会という新自由主義を凝縮した政党を存続させている。誰かの迷惑を顧みることもなく、身を切る改革という「弱体化政策」に騙される始末だ。物事を吟味することなく、利益追求者の甘言にころっと騙される。我が国は数十年も詐欺師によって半ば統治されてきたと言っても過言ではない。
渋沢栄一は人間の癖を知っており、調子に乗る者は好調であるが故に、小事を馬鹿にして放置するところ。これが後に禍根になることを指摘していたのだ。失敗の原因は好調な時ほどを作っていると。「あまり調子に乗り過ぎると痛い目に合うぞ」というのは、今も昔も同じだ。金融バブルに然り、好調な時ほど用心しなければならないのである。
市場原理主義のような採算性をうたい、公的機関を民営化するような姿勢は、調子に乗り過ぎた結果だ。ウィリアム・ドルモンド曰く、
道理を悟らない者は偏屈者であり、道理を悟れない者は愚者であり、あえて道理を悟ろうとしない者は奴隷である