「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第362号 「分配と積極財政」

分配と積極財政

分配と積極財政

分配と積極財政

財政拡大を生かすには

 人の住まう家には「導線」というものがあり、生活がしやすいように予め設計されている。水回りや電気も最適な場所に設置されているのだ。この導線は建築屋、水道・設備屋、電気屋によって、それぞれの立場から知見が蓄積されたコラボが住まいであると言えよう。
 このようなコラボの中に、設計屋が入ることもある。建築設計には意匠という設計もあり、デザイン性のこだわりも発揮することができる。家主がデザイン性にこだわった設計を依頼した際、意匠を設計する設計屋が家主の聞くままに導線を無視し、見た目には素晴らしいデザイン性のある建築物を実現できたとしても、住んでみるとやっぱりダメだったということはあるのだ。これに加え、水回りの配管は目に見えないが、意匠ありきで設計されてしまったために、施工が困難になるということも起きていたのである。何かあってもメンテナンスも大がかりなものになるだろう。
 さて、このような話に既視感はないだろうか?導線は税制に置き換えてみると、家屋は国家として見ることができる。導線を誤ってしまうと、不便を強いられてしまうのは、税制でも同様である。建築設計の積み重ねられてきた知見は累進課税に等しく、これを破壊するのが、「均等に課税する」行為なのである。一見良さそうに思えるものでも、蓋を開けば致命的な点が見つかるのだ。
 このような状況下で財政拡大をしても、税制がしっかり機能していなければ、労働者に賃金がきちんと分配されることはない。したがって、財政拡大と税制はセットで考えなければならないのである。

 

積極財政って結局?

 竹中平蔵氏が関西テレビの番組において、積極財政派として出演していたという。彼が改心して積極財政派になったのではなく、政府の支出を欲しているからに他ならない。これとは別に、積極財政派の中でも、ただただ積極財政に転じれば国民は豊かになると信じている人も少なからずいる。筆者自身がそうであった。前述したように、税制をきちんと整えてやらねば、積極財政でもこれまでのように、国民全体が潤うことはない。
 さて、積極財政の定義があるとしたら、税収よりも政府支出が多いことになるだろう。この上で、労働者への分配が適切に行われていること、生活困窮者が救済され、困窮者や貧困がなくなることも含めておかねばならない。これは自動安定化装置のように、恒久的に機能させておくことが望ましいのである。これは賢い支出の一つであろう。
 これを実現させるためには、税制の累進性を強化する必要があり、これが建築物でいうところの導線である。この導線がなっていない建築物を設計屋が設計した場合、プロは烈火のごとく怒るべきであるし、実際に喧嘩になることもある。後々のことを考えれば、最初からちゃんと設計しろという次第。 このように、積極財政をごり押ししても、導線である税制がなっていなければ、今までと変わらず、否、今より格差拡大させてしまい、力あるものが自分の都合の良いように政治に圧力をかけるため、今より酷くなる恐れもある。したがって、税制の累進性をセットで積極財政は行われる必要があるのだ。言うまでもなく、消費税は導線の破壊であり、これは強調しておかねばならない。