議論を避ける「財源」
繰り返される愚行政治と偽善
ことあるごとに「財源はどうするんだ!」、「消費税は社会保障費に必要だ!」等のようにワンパターンかつ、その一方で国民の負担が蓄積されていく。これが繰り返されれば、必ず誰かが疲弊していくことは論をまたず、パターン化された前提の上で物事を進めても一切の解決を見ないどころか悪化していく。これは政治であろうと企業であろうと個人であろうと、パターン化された負のループから脱するには、視点と思考を変えなければ問題の原因がどこにあるか分かりようもない。驚くべきことに、我が国は数十年単位でこのようなことをしてきたのだ。
社会保障費を消費税で充てる話の際、「なぜ消費税なければならないのか?」とある人物に問うと黙ってしまった。その後、消費税である必要はないとお茶を濁していたが、時間が経つとまた「消費税は社会保障費に必要だ!」と言い始める。議論は続けないと意味がないのだ。矛盾が生じた途端に議論から逃げ、ほとぼりが冷めた頃合いにまた出てきて、同じことを繰り返し言う。愚行はやめよ。これではいつまで経っても問題は解決されず、「消費税は安定財源」等と何がなんでも消費税でなければならない論法で国民も企業も毀損され続ける。これはまるで、崖に向かって歩いている一行が転落していく様を見過ごすようなものだ。これがどれほど異常で正常な思考が出来ていないかは言うまでもないだろう。崖から落ちる人を助けようとするのが正常な思考であり、言い訳を考えて助けようとしないのが我が国の政治なのだ。これは経済学以前の話であって、小学生でも分かる話だ。
このようなことが時の政府はして来なかった、現在進行形でもしてない。ただし、口だけは達者である。エドマンド・バーク曰く、
偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである。それには費用も掛からず、想像力以外の何の苦労も要らない。
自己犠牲を尊ぶな
学問や科学をたしなみ、矛盾をきたせば修正していく。自己責任論は(他者の)自己犠牲があって然るべきと考える者達が好んで使い、いざ自分がそれに晒されるとパニックに陥り自己主張をしだす。恐ろしいのは、彼らが二重基準に陥っていることに気付いていないことなのだ。パニックになる前に自らを省み、改善していく習慣を身に着けていれば回避できたのである。
自己責任論は悪習であり、自縄自縛に陥りやすい。消費税は安定財源であるだとかは、誰かの犠牲の上に成り立つものであって、それを冷酷にも政治家や財務官僚が言えてしまうところに我が国の病理が見える。自己犠牲も自己責任も同じ土俵にあり、それ故に消費税という応能負担の原則に反する税制を安定財源と言ってみせられるのだ。なぜか。低賃金労働者であるが消費税に肯定的である者は、自己犠牲の上に立っており、それが美徳だと思っている。そして、これを利用しているのは累進課税から逃れたい高額所得者である資本家なのだ。彼らのお膳立てをした構造改革は害悪であり、構造改革を主導した竹中平蔵が嫌われる理由はここにある。
繰り返すが、これは経済学以前の話であり、モラルの話だ。自己犠牲とは、権力者が下々に強制するための道徳を装った理屈なのである。見よ、壺カルトの構図そのものではないか。
mihana様
ヤンキーが消費税とインボイスを解説してくれる漫画