「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第432号 「落ちぶれたニッポン」

落ちぶれたニッポン

落ちぶれたニッポン

落ちぶれたニッポン

腐敗は続くよどこまでも

 人は困難に陥った際、悩みから解放されたいと望む。貧困にしろ同じだ。筆者が道徳を説くのは、人が人として生きて行けることを望むからである。そのためには個々人における足元をしっかりさせることも必要であるが、人はロボットではなく十人十色。それだけ人間社会は不確実性の宝庫だと思えば足元がままらない人達には公助が必要であることを理解するにはそれほど難しいことではない。
 昔の人が見聞を広めよと言ったのは、「自分の中にある常識」がいかに役に立たないか、驚くほど色んな人達がいて様々な営みがあることを知り、社会はどうなっているかを理解するためだ。為政者はこれがないと務まらない。
 自助と共助で賄えることには限界があり、公助は人々の社会生活を毀損してはならぬと、補助していくことが求められる。ある知識人と呼ばれる者達がいくら自助について上手いことを言おうと、公助の重要性を説かない言説は危険なのだ。傲慢な者は自分の力だけ何とかなると自分の経験だけで語り、多種多様な人達がいることに理解が及ばないのは、頭の知識だけで見聞に乏しいからだ。あるいは、意図的に大衆を扇動するためにやっている者もいるだろう。
 どのようなものでも基礎があり、この基礎をなくしていきなり応用から入っても失敗する。新自由主義的思想に染まった人というのは、この基礎を超えて新しい発想する人を好む傾向にある。故に、構造改革だとか身を切る改革という言葉に飛びついてしまうのだ。
 他の教育を削って金融を教育に!というふざけたことを言っていた政治家もいたが、このような発想にな ってしまうのは基礎教育と教養が足りないからに他ならない。
 国民生活における道徳や秩序を崩すような言説が見られる者には警戒して然るべきであるし、このような者を知識人だとか評論家だとかと言って持ち上げるメディアは端的に害悪である。

 

~ コラム ~

 旧統一教会と関係を持った政治家は自民党のみならず、他の政党や市議会議員に及ぶ。これらは必ずケジメをつけなければならず、関係を持った者は率先して辞職するなり、それに相当することはやるべきだ。そうでなければ、モラルの低下に政治家が進んで貢献することになる。
 選挙の段になって旧統一教会に頼み、票を得ていたことが明るみになった。ひどくアンフェアだ。政党を維持するために不当な票集めをやるその自制心のなさは、政治家にとって致命的である。これは応援してくれる有権者への裏切り行為であり、人としてのおぞましさが出ている。この者達が罪悪感を覚えないとしたら、有権者はこの者達を一切信用をしてはならぬ。そうまでして彼らが権力を欲するのは、それは弱き人間であるからだ。エーリッヒ・フロム曰く、


 権力欲は強さでなく弱さに根ざしている

 

 権力という後ろ盾を欲するのは、裏を返せば自らの足元が脆弱故だ。庶民には自己責任と言いながら、自分達は権力によ って庇護を受ける状態に身を置く。高慢で高圧的 な麻生太郎等を見ていればよく理解できるというもの。このような者達を支持するなり期待する限り、腐敗は続くよどこまでも。腐敗から脱却すると欲すれば、彼らに引導を渡してやることだ。

 

 


 

ツェリ子様
口先だけ政府