経済同好会新聞 第507号 「むつかしい話」
むつかしい話
人の弱さにつけ込む者は弱き者
中田あっちゃんの「提言」が巷で炎上しているというのか、盛り上がっているというのか。第三者があーだ、こーだと邪推も含めて色々な話が出ている。内容自体は横に置くが、問題と思われるものに「権力への忖度」がある。
当新聞では「寡占化」について述べているが、それは大きくなった企業が独占状態になり価格を決定してしまう恐ろしさにある。これは権力を握られていることに等しく、それを読み取った者は忖度したり、虎の威を借るようになって更に寡占化に寄与する。
忖度というものは自分の弱さを権力ある者に依存することになるが、これが常態化するとどうなるか。生活がかかっているため、権力に問題があっても擁護するようになる。また、問題を指摘する者を排除しようとするだろう。どこかでこれを彷彿されることはないだろうか?そう、自民党政治だ。
官僚も生活がかかっているため、政治家から指示されればそのように働くだろう。内心とは裏腹に。このような忖度は不健全であるが、一方では所得を得られて生活が助かる面があることは否めない。筆者が強く訴えたいのは、この心理を利用してはいまいかというところ。これは政治家のみならず、芸能界だったり集団の営みであればどこにでも存在する。生活を人質にしていう事を聞かせるような状況を作ることや、生活のために忖度するような状況になっていることを憂うべきだ。
人質論法の極み
生活を人質にしたり、弱みを人質にすることは悪質であるが、「国の借金」は将来世代を人質にするものではないのか。これと同様のものに「財政破綻」がある。事実、増税を止められないのは、国民は不安と恐怖から進んで増税を受けいれているからである。あるいは、誰か偉い人の言説を鵜呑みにしているか。
国の借金がー!と言う割に、特定企業の中抜きには寛容な政府。一部では批判の声はあるが、大手メディアは「ポーズ」では言うのみで追及することはない。これと同様に、将来世代や社会福祉のために増税すると言いながら、特定企業の中抜きには支出する。なぜ追及されないのだろうか。国の借金という言葉で将来世代を人質に取りながら、一方では特定企業には支出するこの矛盾を。
現世代が貧困化すると将来世代は貧困を受け継ぐのは道理であり、少子化すれば国が対策しなければ少子化は止まらないことは理の自明である。それを将来世代のためだと言いながら、国民の負担を増やすばかりでは、余計に貧困化も少子化も止まらない。時の政権はそうやってきたではないか。メディアは毎年、国の借金をニュースで垂れ流し、国民は増税を受けいれざるを得ない状況を作っている。人質論法に加担しているのだ。以前も述べているが、経済に関してはジャーナリズムの矜持の欠片もない。ここまで日本の凋落を知りながら、追求しないのはなぜなのか。上からのお達しで止められているからではないのか。エリック・ホッファー曰く、
権力は腐敗すると言われています。しかし、弱さも腐敗することを認識することはおそらく同様に重要です。
服従と忖度は腐敗の元なのだ。どちらも精神的な弱さから来ている。