「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第466号 「渋沢栄一に見る日本」

渋沢栄一に見る日本

渋沢栄一に見る日本

渋沢栄一に見る日本

正しいビジネスをしているか

 当新聞ではたびたび渋沢栄一の言葉を紹介しているが、それは示唆に富むことが多いからだ。我が国は格差拡大でワーキングプアが増え、その中身は非正規雇用が多く占めている。大手系列の正社員でも所得が増えない労働者もいる時代だ。低賃金で労働者を雇用して利益を出す大手企業や、そのような構造に作り替えた自民党の腐敗ぶり。渋沢のこの言葉をしっかり咀嚼してもらいたい。

 

 どんな手段を使っても豊かになって地位を得られれば、それが成功だと信じている者すらいるが、わたしはこのような考え方を決して認めることができない。素晴らしい人格をもとに正義を行い、正しい人生の道を歩み、その結果手にした地位でなければ、完全な成功とは言えないのだ。

 

 このように、正しい人生の道でなければ、労働者から搾取しながら利益を出すことに血筋を上げるようになる。中抜きに然り、典型的な労働搾取である。心ある経営者はこのような馬鹿げたことをしない。労働者を粗末に扱うことを恥ずべきだと知っているからだ。渋沢曰く、

 

 商売をする上で重要なのは、競争しながらでも道徳を守るということだ。

 

 更に曰く、

 

 一個人がいかに富んでいても、社会全体が貧乏であったら、その人の幸福は保証されない。その事業が個人を利するだけでなく、多数社会を利してゆくのでなければ、決して正しい商売とはいえない。

 

貪欲は欠乏を追う

 金の亡者は儲けても儲けても飽き足らず溜め込む。その貪欲さの裏には欠乏感が潜んでおり、他者を圧倒してでも儲けようとする。渋沢はこのような者に疑問を呈している。

 

 他人を押し倒してひとり利益を獲得するのと、他人をも利して、ともにその利益を獲得するといずれを優れりとするや。

 

 他者を蹴落としてまで自己の利益にするおぞましさは、まるで地獄界の餓鬼のようだ。競争に道徳がなければそれはただの弱肉強食でしかない。自身に能力があって儲けるが、その恩恵を他者にも与えることで国家を繁栄させる視点を渋沢は持っていた。現代の資本家にそれはあるのか疑問だ。
 恐ろしいのは、生活のために低賃金労働に甘んじる選択肢しかない人達がいること。この状態は食べていかれても人生を生きているとは到底いえない。貧困とは金がないだけでは済まないのだ。貧困の恐れに人生を支配され、やむなく働く他ないことは社会問題だ。これを自己責任や努力不足で片付けることは容易いが、そう考えること自体が努力不足と言わざるを得ない。つまり、社会全体を良くすることを放棄する方が考えずに済むため、目先の金儲けに邁進することができるのである。性根が貪欲なあまり政治家に規制緩和させてまで金儲けするようになったのだ。税制をいじったのも所得移転に他ならない。
 これらの構造を改めなければ、政府が支出したからといって所得が増えていくわけではない。税制をきちんと定めた上で財政出動しなければ所得移転は止まらない。むしろ、金の亡者が肥えるだけである。