「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第469号 「大切なものを見失う日本」

大切なものを見失う日本

大切なものを見失う日本

大切なものを見失う日本

不道徳は秩序を破壊する

 人が成長することは望ましい。生まれて大人になるまで、赤ちゃんの思考のままということはない。この間には「育み」があり、その土地や親や周囲の考え、触れる情報によって人格が形成されていく。この意味するところは、人が十人十色で不確実な存在であり、これは生まれた時から免れない厳然たる事実であること。家族でさえ考え方が違うことは多々ある。みんなバラバラでは国家も集団も成り立たず、故にルール等を設えて社会をスムーズにさせるため秩序等を作りまとまる。もし、人類みな物分かりの良い者ばかりであるなら、このルールやお金さえ不要なのかもしれない。しかし、現実は不確実に満ちている。レールを敷いても外れてしまう、あるいは故意に外してしまうのが人間というもの。やはり法やルールは必要になる。アリストテレス曰く、

 

 私が哲学によって獲得したのはこれである。すなわち、何某かの者は法への恐れのゆえに強いられるところのものを、私は命令されることなしに行うということだ。

 

 法律がなくとも秩序立って行動できる者は道徳的であるが、ここまで到達するには「育み」が必要なのは論ずるまでもない。本田宗一郎はかつてこう述べている。

 

 人間にとって大事なことは、学歴とかそんなものではない。他人から愛され、協力してもらえるような徳を積むことではないだろうか。そして、そういう人間を育てようとする精神なのではないだろうか。

 

 これは学問を否定しているのではなく、学問が至上になってそれがモノサシになってはいけないことを示唆している。学歴も徳もあればなお良いのである。やれ学歴社会だの、やれ自由競争だとやってそれが目的となっては、刹那的で道徳とは相いれない。むしろ、秩序破壊に貢献してきたのがこの態度なのだ。生活インフラを毀損するナントカ民営化がその典型であり、構造改革によってワーキングプアを生み出してしまったのも、不道徳な思考によるものだ。守るものが何かを分かっていればこうはならない。

 

自然と育み

 花が咲けばその美しさに目を奪われ感動するが、花も最初は小さな種から育つ。小説家である井上靖曰く、

 

 「養之如春」(これを養う春の如し)──何事であれ、もの事を為すには、春の陽光が植物を育てるように為すべきだという意味である。“これを養う”の“これ”には何を当てはめてもいい。子供を育てることも、愛情を育てることも、仕事を完成することも、病気を癒すことも、みな確かに、あせらず、時間をかけてゆっくりと、春の光が植物を育てる、その育て方に学ぶべきなのである。

 

 自国産業の育みを蔑にし、衰退させる我が国。短期成果を目的にすることで更に育むことを横着する。これでは人間のロボット化で情緒が育たない。モンテーニュ曰く、

 

 今日の人々は刺激と虚栄の中にばかり育っているので、善良や節度や恒常や不変などの静かな目立たない性質を感じなくなっている。

 

 まさに現代がこの病理に包まれている。失ったものはあまりにも大きい。