「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第480号 「知識に使われること勿れ」

知識に使われること勿れ

知識に使われること勿れ

知識に使われること勿れ

愚者は道具を粗末に扱う

 当新聞は幾度かエリートを批判してきたが、このエリートとは勉強できて記憶も良いが、それを生かせない者達のこと。このような者達が政治に関わるようになると、国家が傾くのは理の自明だろう。勉強できてその内容を咀嚼することこそが重要なのである。
 咀嚼とは食べ物を口の中でよく噛み砕き味わうことを意味する。勉強にしても同様だ。言葉や文章の意味や内容をよく考えて理解すること。食べ物も知識も咀嚼せずに呑み込めば、消化不良を起こすのだ。恐ろしいところは、この消化不良に無自覚であるところ。消化不良を起こしたまま知識を使えば、知識に使われるようになる。我が国の長期停滞はこれに起因していると言っても過言ではない。どういうことか。構造改革だとかグローバル化だとかで、いじってはいけない労働法や税制を「知識を過信して」変更してしまったのだ。むろん恣意的に変更した声もあり、当新聞でもその旨を述べている。
 このような悪政を行える精神性とは、知識を咀嚼していない「無教養」状態に陥っている者がやり出す。加えて、永らく続いてきた慣習を蔑にする傾向もあり、古いからと言って馬鹿にする。永く続いてきたものというは、それだけ洗練されてきた土台であり安定的なのだ。知識は咀嚼しなければ、頭の理解だけで腑に落ちない。これが分からぬ者は到底エリートと言えぬ。

 

古いから時代 遅れなのか?

 前述しているが、慣習とは長い年月を経たもの。これを「そんなものは古い!時代遅れだ!今の時代には新しい何々が必要だ、古いものはぶっ壊す!」。このようなニュアンスを込めて言う偽物エリート達もいるが、非常に危険な思考だ。トクヴィル曰く、

 

 生きて活動し生産するものは全て、どんなに新しく見えても、新しさの背後には古い起源を有しているものである。

 

 非常に身近な例で言えば人間だ。我々がこうやって存在しているのは、人類が誕生してから脈々と命をつながれてきた賜物だ。言語だって同様である。急に出来たわけではなく、脈々とつむがれてきたからに他ならない。慣習に然り、このようなことは多くある。その上で我々現代人が活動しているのだ。これを理解できぬ政治家は、現世代はおろか将来世代に命をつなげよう等とは思えぬだろう。なぜなら、近視眼的かつ、恣意的なものを法によって定めようとするからだ。自民党内閣の閣議決定がまさにその典型だ。勝手に決めて進めてしまう、これほど幼稚で甘えたやり方もない。この馬鹿げたやり方で問題が山積していったのだ。まるで甘やかされてきた子供のようだ。そして、大衆も権力に右へ倣えとやり出す。官僚は人事権で抑え込まれ、活躍の場を失う始末。偽物エリートが量産されてしまう原因だ。誰が我が国を破壊せしめているのか容易に理解できるというもの。
 知識の咀嚼とそれを生かすことが出来ないとなると、政治家も官僚も大衆化することになる。事実、腐敗の進行がそれを物語っている。大事なものが分からなくなり、なんとなくやってしまう。歴史に学ぶことを忘れ、慣習によって裏打ちされた生き方すら学ばない。教育や研究が蔑にされるのも必然だったのだ。