起こる本末転倒
破壊される積み上げたもの
驚くべき思考をする政治家に「こども食堂は必要であり支援する」というもの。こども食堂で救われる子供はいるが、この子供達の親が中間層になった場合はどうだろうか。むろん、こども食堂は必要なくなる。つまり、ワーキングプアをなくする政治をやらず、こども食堂を必要だとする政治家は何が問題か理解しておらず本末転倒だ。支離滅裂、何をかいわんやである。この政治家はワーキングプアを容認するに等しく、貧困を解決する気はないのか問わねばならない。なぜならば、先に解決すべきは親の貧困だからだ。
互助のような一般人の間で協力し合うことは尊いが、我々は政府が貧困を容認するその状態を見過ごしてはならない。こども食堂が増えて行くその様は、日本の衰退を如実に物語る。これを容認すると常態化してしまい、こども食堂があって当たり前になる社会になるだろう。否、既になりつつある。これは格差社会をせっせと維持するものであり、誰かが貧困状態で労働させられることを意味する。
コスト削減は供給力を毀損するか
企業が需要を見込み投資する時は雇用が生まれ、労働者の賃金が発生する。これは供給能力を高めようとする行為。逆に労働者の賃金をカットしたりリストラをすると供給能力は毀損される。公共投資の削減も同様。右肩上がりに国民負担率が増え続け、経済が停滞してきた上でコロナ到来でダメージを受けている最中、特定企業の「過去最高益」というのは、実は人件費等のコストカットによって利益を出すカラクリだ。つまり、供給能力を毀損させながら利益を出すという本末転倒をやっていることになる。これはワーキングプアを生む元であり、こども食堂ができる元である。出生数にも関わる問題だ。
このような問題は労働者を低賃金でこき使い、金儲けに走る資本家がいることを理解すべし。政治家や政党がこれを容認している状況では、格差が解消されることはないだろう。
冗長性を加味しない愚かさ
冗長性とは、一見無駄に思えても「備えあれば憂いなし」のように必要最低限のものに加え、余剰をもって備えておく状態のことをここでは指す。以前も述べてきたが、余白や遊びのこと。この冗長性を無駄の削減等と言って削ると、供給力を毀損する事態に発展する。
我が国のコストカッターどもは、冗長性を削り利益に付け替える不逞の輩であることも理解しておく必要がある。このコストカットによって冗長性が削られた結果、現場が悲鳴をあげることが起きるのだ。要するに労働者の負担が増える。そうしておいて、利益が出た等と経営陣や資本家が喜んでいるとなれば、本末転倒を通り越して鬼畜の所業と言わざるを得ない。構造改革だとか規制緩和だとか制度を変更してきたツケなのだ。
企業の経費は労働者に分配されるが、利益は株主に分配される。この経費をカットし、利益を出そうとするため、株主の配当は増えてきたたが、労働者の賃金は一向に上がらない。このような経済をダメにすることを政府は容認してきた。特に自民党は。
冗長性を削る変わり、利益を生むようなやり方は、実りがないどころか害悪である。