「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第504号 「薄情な国家と人」

薄情な国家と人

薄情な国家と人

薄情な国家と人

貧困の無関心は「明日は我が身」

 知識は応用できるようになってナンボ、頭だけの理解というのでは実践にならない。賢ぶった馬鹿者は口だけ達者で、行動よりも口が先に動く。言葉を操り、自己を大きく見せるのだ。このような者に騙される者も騙される者だが、我が国の知的水準の低下は政治家レベルに及んでいるのではないか。よくよく考えれば当然だ。なぜならば、政治家は元々国民なのだから。国民の水準が低くなれば、政治家のレベルも必然と低くなるのは道理である。
 ワーキングプアのような貧困が広まるのも、国家の根底にある土台を見る人が少ないからだ。土台が脆くなれば危険だが、我が国はその土台の上で政治を行う。特定の学者までもその土俵の上に立って議論にならない議論をやり出し、結果、いつも結論は同じなのだ。これを「やっているフリをする」と言う。その裏で売国法案は着々と進んでいく。このパターン化した政治を多くが見抜く必要があるだろう。
 嘆かわしいのは、知識をインプットした後にアウトプットする。そのインプットの仕方に問題があったのか、あるいは前述したような結論ありきなためアウトプットはいつも同じになる者が個人レベルでも存在する。このような結論ありき、思考停止では害悪をもたらし続ける。マハトマ・ガンジー曰く、

 

 明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。

 

保身者は不道徳者

 保身に走る者は道徳から遠ざかり、口先だけで善人ぶる。なぜならば、言行不一致であることを明るみにされることを恐れるからだ。本当の意味での臆病者である。ちょっとつつけばボロが出るため、詭弁を弄したり誰かのせいにして逃避する。このように過ちを認められないのは不安や恐怖があるからに他ならず、政治家や多くに影響を与える者がこれではおしまいだ。
 政治が貧困を出さない仕組みにしないのも、「貧困ができる政策」をやっているからに他ならない。この者達は学ばないか忖度しているか、その両方かのいづれかである。
 驚くべきことは、三十年近く経済は停滞し、こども食堂が増えていることに疑問を持たない政治家。美徳として語られるのみで、当事者の貧困問題を解決しようとしない。昨日今日の話ではないのだ。
 間違った経済学の教科書を学び修士を取ったナントカ弁護士も、経済学の歴史から今日至るまでの経緯を知らず、ツイッター上でそれを指摘すればブロックする等と、ご都合主義の保身が見て取れる。ブロックの数が多い河野大臣であるが、もはや数の多さではないだろう。きちんと向き合うかどうかが本質的な話になるのだから。ガンジー曰く、

 

 人間の英知を信用しすぎるのは賢明ではない。強者も弱くなるかもしれないし、賢者も間違うかもしれないと心に留めておくことは健康的である。

 

 保身者の言動や行動は見る人が見れば分かるものだ。本人は見て見ぬふりをするか、精神のバランスを保つためにブロックするだとか罵倒にも似た批判に終始する。「らしくない」微妙さ加減を見抜く人は見抜くのもまた人の能力である。本能的なものもあれば、洞察に慣れた者は瞬時に把握するだろう。人を馬鹿にして見下していれば、それは自分に返ってくる。その醜態を晒すことで。