経済同好会新聞 第508号 「仏教から見る人の癖」
仏教から見る人の癖
驕りたかぶる者の見方
仏教の言葉「百八つの煩悩」は有名だが、「七慢(しちまん)」という言葉はご存知だろうか。端的には七つの自惚れであるが次の通り。
慢(まん)自分より劣っている人には優越感を抱き、同等の人には、自分と等しいと心を高ぶらせる。
過慢(かまん)自分と同等の人に対して自分が優れているとし、自分以上の人には自分と同等と侮る。
慢過慢(まんかまん)優れている人を見て、自分はさらに優れていると自惚れる。
我慢(がまん)我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思って驕り、他を侮ること。
増上慢(ぞうじょうまん)悟っていないのに悟ったと思い、得ていないのに得たと思い、驕りたかぶる。
卑下慢(ひげまん)非常に優れている人を見て、自分は少し劣っていると思うこと。
邪慢(じゃまん)間違った行いを正しいことをしたと思い込み、徳が無いのに徳が有ると思い込むこと。
※現在用いられる「我慢」とは意味が異なるところに注意
この七つの自惚れはその人の行動や言動に出る。自省と改善がなされない人は、この七つの自惚れに死ぬまで気付かないものだ。気付いても改められずプライドが邪魔をして人が離れて行く。夏目漱石の著書『吾輩は猫である』の文中にはこうある。
元来人間というものは、自己の力量に慢じて皆んな増長している。少し人間よりも強いものが出て来て窘めてやらなくてはこの先どこまで増長するか分らない。
リーダーや権力を持つ者がこうなれば、経験ある者であればどうなるか分かるだろう。これが国や地方の長になれば、多くの人生を狂わせてしまう。慢心は増長を生む。七慢が教えることに自覚的であれば、慢心することもない。さざ波発言の者が「あれオレがやったんだよね」という自慢(あるいは作り話)する者には、古代ギリシア時代の哲学者エピクテトスが既にこう教えている。
自己のものにあらざる長所を自慢するなかれ。
自慢高慢馬鹿のうち
こちらの見出しは日本のことわざだ。意味は「自慢したり偉そうに振る舞ったりする者は、馬鹿と同類である」。自らを大きく見せようとする者は七慢のいづれかに陥っている。複数該当することも考えられ、常日頃から自らを省みる癖はつけておくことが吉。しかし、気を付けていても盲目的になるのも人間だ。これを回避するためには、自省と改善を習慣付けることになる。習慣付けるとは身体でいえば筋力のようなもので、筋力を維持してものにしていくには面倒がらず習慣にすることが肝要だ。
七慢のような人間が政治家になったり、影響力を持つインフルエンサー等になると、我が国のように「国民を大事にしない国」が出来上がる。日本のおかしさは明治維新以降と指摘する人達がおり、ここを無視して金融やら投資(投機)やら改革やらとやっても、利己的な振る舞いをする者が権力やリーダーになるため、没落することは目に見えている。
経済といえど、政治といえど、所詮は人が考えてやることだ。その人が愚かでは愚かな現実が反映されるのみ。根本原因は人にある。