「経世済民」同好会  -HatenaBlog支部-

経済とはそもそも略語であり正しくは「経世済民」と言います。それは「世よを經をさめ、民たみを濟すくふ」つまり、民を救うことが含まれます。「経済」とは私たちが救われてこそなのです。 経済成長のために私たちが犠牲を払うことはないのです。そんなことを様々な角度から訴えていこうという有志による同好会です。記事は複数人がそれぞれ好きなように書くスタイルです。

経済同好会新聞 第7号 「将来世代のツケ 重い代償」

経済同好会新聞 第7号

経済同好会新聞 第7号

 マスコミの止まらない経済偏向報道

 当新聞第2号掲載の記事中に「放漫財政ではなかったアベノミクス」とある通り、予算が組まれる毎に放漫財政とマスコミは報じるが、放漫財政は「国の借金」という誤った言葉と関連付けられているのではないか。放漫財政の割に一向に景気が改善されない矛盾を報じない姿勢は、客観性に欠けていると言わざるを得ない。無知故か、忖度故か、受けが良い故か。
 長年「国の借金」と「将来世代のツケ」がセットで報じられ、国民感情は「増税やむなし」とする風潮に。「国の借金があるから、これ以上の借金はけしからん」、これが放漫財政と言わしめる正体である。

 

国の借金 放漫財政という錯覚

 「国の借金」は造語であり、正しくは「政府の負債」。正しい言葉に置き換えてみると、

誤「国の借金があるから、これ以上の借金はけしからん」
正「政府の負債があるから、これ以上の政府の負債はけしからん」
※政府の負債は国民の資産

このように、意味も意味合いも受け取り方も解釈の仕方まで変わってくる。解釈が異なるということは「放漫財政」とは一体何かという疑問が涌くのではないだろうか。一体なぜ「政府の負債」と表現することを躊躇うのか。

 

政府予算は経世済民として機能

 政府予算が経世済民を機能させる上で、政府の負債が増えることは正常である。これを国の借金と言い換えてきたことで、緊縮財政を長々と存続させ、貧困化と国家が毀損されてきたことは紛れもない事実だ。失われた20年という月日は「国の借金」「将来世代のツケ」「放漫財政」と国民に錯覚させてきた結果だ。この払わなくても良い重い代償は今、国民が払い続けている最中である。
 政府が機能不全に陥ると、現在のような国家没落の途を歩むことになる。経世済民とは真逆な道を歩んでいることは現実を見れば明らかであり、現世代と将来世代は延々とツケを払わされるだろう。